結婚という宗教について考えてみた
はじめに
「結婚は宗教だ」
ベッドに横たわってこぼした力ない言葉は、現代の喧騒と信者達の妄想にふっとかき消される。
「結婚とは一体なんだろう?」
昔から疑問に思っていたこの問いが、宗教という革新めいた答えに辿り着いてから早十数年経った今でも、人々は結婚のために生き、結婚に翻弄され、結婚に幸せを感じ、そして結婚に飽きている。
「結婚してないイコール不幸で、結婚してるイコール幸せみたいな、あるじゃないですか?だから『結婚して幸せになりたいと思わないんですか?』とかって聞いてる時点ですごく差別的だと思いませんか?じゃあ結婚が幸せなんですかって思いませんか?」田中みな実
出典:モデルプレス https://mdpr.jp/news/detail/1784989
良いこと言うじゃないか。そんな田中みな実が、僕は好きです、結婚してください(突然
結婚とは、とどのつまりはコミュニティの在り方の一種であり、幸せを決定付ける要素にはなり得ないものである、と僕は考える。
だから、他人の結婚観にケチを付けるのはナンセンス極まりない。例えそれが親だとしても。
しなくたって死にもしないし義務でもない、あくまで権利として与えられたものなんだ。
「そう言いながら、実は結婚『できない』だけでしょ?」
ふむ、選択の自由があるというのに、それを選択しないことが直ちに実現不可能性の言い訳として捉えられてしまうとは、君はただ人をラベリングしたいか見下したいだけなのかもしれないな。やれやれ、この考察すらもまたラベリングなのかもしれないが。
1日の疲れを労う乾杯後の第一声が「結婚」なんて、こいつらはどうかしてるんじゃないか?
こんな宗教じみた考えの人々からは距離を置きたいところだが、どうやら無宗教者が多いと思っていたこの国では(いや、もしかしたら世界かもしれないが)、漏れなくみんなこの 「結婚という宗教」 を盲信してしまっているようだ。
いやはや、いつの時代も必要なのは信仰か。それとも自分の信念が無いだけなのか。
僕のスタンス
ここではっきりしておきたいことは、僕は結婚という制度に反対しているわけでは全くないということだ。むしろ結婚することは素晴らしいこととさえ思っている。
しかしながら前段でも述べたように、僕はあくまで結婚は権利であり、幸せを決定する要素ではないと思っている。この考えは昔から変わらないし、今後も変わることはないだろうと感じている。
だからこそ、思考停止的に結婚をゴール、またはマイルストーンとしている人を見ると、むしろ微笑ましくすら思うし、そんな人から結婚を勧められた日には、助走をつけて顔面を殴りたくなる衝動を抑えるほどである。義務教育はちゃんと終えてきたのかと心配になるな?
話は長くなったが、今日はこの結婚という宗教について、今まで思っていたことの整理も兼ねて綴ろうと思う。
結婚は宗教なのか
「ところで、結婚が宗教なんて突拍子も無いことを言うじゃないか」
確かに、僕がなんとなく似ているというだけで、度々引き合いに出すこの結婚 ≒ 宗教論。端々の特徴だけ拾って言ってはみたものの、実はそこまで深く考えていなかったが、これを機に考察してみよう。
宗教とは
宗教(しゅうきょう、英: religion)とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである。
出典:Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/宗教
こんな時のWikipedia先生が偉大すぎるので、僕はWiki教の信者かと思っているぐらいなのだが、今日の定義では以上のようになっている。
要するに、人智を超えたナニカを崇拝する集団ということらしい。
とすると、おや、結婚はこの人智を超えたナニカに該当するものが見当たらなそうだ。
確かに、世にある宗教は大抵「教祖」か「神」の存在が明示されている気がする。結婚にはそんなものは存在しないので、早速この話は頓挫して、美味しいカレーの作り方でも書くことになりそうだ。
しかしながら、Wikiを読み進めると
「宗教とは何か」という問いに対して、宗教者、哲学者、宗教学者などによって非常に多数の宗教の定義が試みられてきたとされ、「宗教の定義は宗教学者の数ほどもある」といわれるとされる。
出典:Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/宗教
とあるので、今回は僕を宗教学者として、結婚を宗教と定義して話を進めよう。(さもなくば、SEOの箸にも棒にも引っかからない記事でクラウドを溢れされてしまう。)
早速だが、結婚に挙げられる宗教的特徴をピックアップして、ここでそれぞれの違いを表化してみよう。
宗教と結婚の違い
宗教 | 結婚 | |
---|---|---|
教祖 または神 |
○ | - (結婚という概念) |
信者 | ○ | ○ (女性や年寄りに多い) |
経典 | ○ | ○ (法文書として) |
教義 | ○ | ○ (法制度として) |
儀式 | ○ | ○ (結婚式、他) |
聖地 | ○*1 | - |
運営 | 各宗教団体 | 自治体 |
罪の定義 | ○*1 | ○ (不倫) |
洗脳的 | ○*1 | ○ |
コミュニティ | ○ | ○ (家族、ママ会など) |
派閥 | ○ | ○ (恋愛から金銭、政治まで様々) |
日課 | ○*1 | ○ (夫婦間で取り決め) |
勧誘 | ○ (カルトに多い) |
○ (既婚者に多い) |
奇蹟 | ○*1 | - |
相続 | - | ○ |
入信における 前提 |
- | ○ ペアであること |
入信における 他者の承認 |
- | ○ (主に親類) |
入信者の ランク |
○*1 | ○ (世帯収入や旦那の役職で分かれることが多い) |
脱会における リスク |
- | ○ (金銭、親権、世間体など) |
*1 宗教による
なんと、ほとんどの主要な項目で似通っているではないか。これは宗教とほぼ同義と言っても過言ではないか??
ちょっと待ってください。僕は別にプロパガンダをしたい訳ではないんだ。
その証拠に言っておくと、この表は多分、結婚を「会社」や「学校」などに置き換えてもほぼ成り立たせることができると思う。
これらは一般的かつざっくりとした括りで言えば 「コミュニティ」 を指している。つまり、コミュニティは須く似たような性質を持つために、その一つである 「宗教」 をピックアップしても、簡単に類似性を導くことができるのだ。
では何故、宗教を引き合いに出したか?
それは、以下の二つの性質が非常に似ているからだ。
(勿体ぶらずに最初に言えという主張は尤もだが、今日はこういうテイストでお届けするのだ!)
- 信者が存在する
- 信者と非信者に根本的な価値観の差異が生じる(洗脳的)
そして、宗教の中でも特にカルト教と通じるところとして
- 信者が執拗に勧誘してくる
が挙げられると思う。
正直言ってこの3の特徴だけでも、コミュニティとして異質であると言える。
何故ならば本来コミュニティは、他領域と明確な線引きをすることで、コミュニティ内の秩序を保ち、メンバーにとって心地良い運営を目指すからだ。
外部に何かしら悪影響を働くようなコミュニティは健全とは言えないだろう。
しかし恐ろしいことに、そのコミュニティの信者自身は、それ自体の恐ろしさに気付くことができない(2の特徴に依って)。
なので、こういった特徴を兼ね備えている結婚は、僕にとって宗教にしか見えなというわけなんだ。
棲み分けを目指そうじゃないか
「お前の主張はよくわかった。だけど、その考えで生きていくのは大変だぞ?」
ア○ウェイの下っ端でも、もう少しマシな文句を考えるのではと心の中でツッコミながら「だから言いたくなかったんだよな」と言う愚痴がこぼれるのを両手で制して、
「そうだね、もう少し考えてみるよ」
と笑顔で答えて、ハイボールを一口だけ口に含む。
何故こいつは、僕が結婚したところで一銭の儲けにもならないのに、執拗に結婚を勧めてくるのだろうか?もしかして、仲間がいないと寂しいのかな?
結局のところ我々は、人と人の繋がりを求め、学校や会社やサークルなどに入り、「俺らのグループは最高だよな」という、全く根拠の無い価値に寄り縋ることでしか生きていけない人がほとんどだ。
そんな中で、信者はもちろん(全く結婚する気もなかったが仕方がなく結婚してしまったと言う)既婚者すらをも排出する結婚というものは、さぞかし凄いものと錯覚しても仕様がない。
きっと甘くて美味しい蜜の味だと寄って来た無知を絡めとり、一度入信すれば今度は未婚者に襲いかかるゾンビよろしく、これからも彼らと仲良くするために、ミイラのフリをするミイラ取りとして慎ましく生きようではないか。
ただ、僕が思っていることが、いつか誰かを勇気付けるかもしれない日を夢見て(それは未来の自身だけかもしれないが)、こうして記録に残しておこう。